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平野顕子のエッセイ

バックナンバー 留学主婦のアメリカン・ケーキ

45歳でアメリカ留学した平野顕子のエッセイ集
(2000年創樹社・発売終了)
を加筆・転載いたします。

お楽しみいただければ幸いです。

留学主婦のアメリカン・ケーキ表紙
主婦の見た夢

アメリカ留学の夢

イリノイへの招待

幻の留学

私への投資は800万円

英語との格闘はじまる

多国籍クラスのなかで

地下のキッチンでの日本食

作文が教科書に掲載される

若いころもっと本を読んでいれば

中国人留学生の死

アメリカ式ストレス解消法

ようやく正規の大学生として

自立するアメリカの学生

ドライブ・デビュー

驚異のシルバーパワー

ニューヨークへひとっ飛び

大陸横断旅行

アメリカンケーキへの道

アメリカン・ケーキとの出会い

おしかけて、弟子入り

グレート・アメリカンケーキへの道

グレート・アメリカン・アップル・パイの

作り方のポイント

セカンド・イズ・ザ・ベスト

ベースボールとアメリカン・ケーキ

歴史で味わうケーキ作り

未知のケーキとの遭遇(1)

未知のケーキとの遭遇(2)

卒業

遅すぎることはない

あとがき

イリノイへの招待

結婚前、母の友人である京都大学教授の夫人からの依頼で、イリノイ大学教授の秘書のような仕事をしたことがある。

秘書とは名ばかりで、ただの雑用係だったが、とても気さくな教授で、「ランチに一緒に行こう」と、教授は気楽に誘ってくれるし、私が、「タイプができない」と、言ったら、「僕が打つからいい。キミは、書類の整理やアポイントメントのことや教材を運んでくれ」という。

他の教授と比べると、考えられないほど秘書に甘いとか、上下関係にうるさくない人だった。だから、私も毎日が楽しく、先生の家族と私の家族の交流もあった。

その先生が6ヶ月の授業を終えて、帰国する時に、「イリノイ大学に来ないか」と、誘ってくれたのだ。もっと別のところで勉強したいと漠然と思っていた私にとって、それは最高の話だった。そのうえ先生は、なんと、「僕の家に住んで、そこから大学に通ったらいい」とまで言ってくれる。

この申し出を両親に早速相談すると、「先生がそう言ってくれるなら」と、厳しい父がOKと言ってくれた。母の方は、「そんなアメリカまで行くことないのに」と、反対したが、その先生の長男をかわりに日本のわが家が預かることを条件に、話がまとまった。いわば交換留学生のような形になり、両親も安心したというわけだ。私は思いもよらない展開にただただ期待を膨らますだけだった。

でも、イリノイまでの道は遠かった。というのも、先生のお母さんが、カリフォルニアに住んでいて、そこに先生は車を預けてあったので、それをピックアップして、私を乗せて中西部のイリノイまで延々とドライブすることになったのだ。

まず、ロサンゼルスに渡り、そこから山間や広い砂漠をつっ走るというこう壮大な旅で、アメリカのスケールの大きさを実感した。とくに、東に向かって走る途中でグランドキャニオンを見た時は、「ああ、これじゃ日本は戦争に負けるは」と、戦後生まれの私ではあるが、直感的になぜか戦争のことを思った。

イリノイ州の目的の町についてからは、先生の家族の歓迎をうけ、腰を落ち着けると、まず昼間は英語の勉強だけのためELS(English Language School)に入り、夜はタイプの学校に通うことになった。何もかも珍しく、あっと言う間に数ヶ月が過ぎていった。

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