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平野顕子のエッセイ

バックナンバー 留学主婦のアメリカン・ケーキ

45歳でアメリカ留学した平野顕子のエッセイ集
(2000年創樹社・発売終了)
を加筆・転載いたします。

お楽しみいただければ幸いです。

留学主婦のアメリカン・ケーキ表紙
主婦の見た夢

アメリカ留学の夢

イリノイへの招待

幻の留学

私への投資は800万円

英語との格闘はじまる

多国籍クラスのなかで

地下のキッチンでの日本食

作文が教科書に掲載される

若いころもっと本を読んでいれば

中国人留学生の死

アメリカ式ストレス解消法

ようやく正規の大学生として

自立するアメリカの学生

ドライブ・デビュー

驚異のシルバーパワー

ニューヨークへひとっ飛び

大陸横断旅行

アメリカンケーキへの道

アメリカン・ケーキとの出会い

おしかけて、弟子入り

グレート・アメリカンケーキへの道

グレート・アメリカン・アップル・パイの

作り方のポイント

セカンド・イズ・ザ・ベスト

ベースボールとアメリカン・ケーキ

歴史で味わうケーキ作り

未知のケーキとの遭遇(1)

未知のケーキとの遭遇(2)

卒業

遅すぎることはない

あとがき

卒業

1998年春。勢いだけで、アメリカに来てから2年3ヶ月が過ぎていた。
最後の試験が終わった時点で、私には卒業できることが分かった。とうとう終わったのだ。そうはっきりわかってから、私は日本の家族に連絡した。

記念すべき5月24日の卒業式には、男も女も黒の四角いハットとガウンを着ることになっている。夢にまで見た姿である。でも、実際にガウンを手にしてみると、化繊のペラペラしたちゃちなものだとわかって、ちょっとがっかり。これは25ドルで買うことになっていいて、結構高いななんて思った。しかし、あのハットだけは憧れだった。だから、どんなふうにかぶろうかなあ、と卒業式まではあれこれ考えて年甲斐もなくワクワクしていた。

そして、卒業式。コネチカットの気候というのは、あてにならなくて、4月でも雪がふるし、初夏でも真夏のような暑さになるときもあった。この年の卒業式の日は、夏の一歩手前という感じの日で、ものすごく暑かった。黒いガウンを着て、屋外での式だったから、暑いのなんの。校長先生の話は長いし、そのへんは日本と変わらなかった。違うところは式自体は、それほど厳粛ではないところだ。

卒業生は、代表者だけが壇上に上がるのではなく、一人ひとりが壇に上がって、校長先生と握手して、終了証書が読まれる手はずになっていた。そこで、呼ばれた名前が知人や友人の名前だとわかると、「ヒュー」といった奇声があがり、雰囲気が盛り上がる。めそめそするより喜びでいっぱいなのだ。

卒業できる喜びは私にもあった。けれど、その時の気持ちは「感動」とはまたちょっと違ったものだった。私の名前が呼ばれ、終了証書を手にしたあとで胸にこみ上げてきたのは、「あー、これで娘には快挙を成し遂げたといえるし、息子からは良くやったっていわれるだろうな」という安心感と充足感だったと思う。ほっとしたという気持ちがある。「嬉しさ」という点では、なによりも、「自分はいま勉強しているんだなあ」と、実感していたときのほうが嬉しかった。つらかったけれど、ほんとうにうれしかった。

自分ではそれほど大変なことをしたとは思わなかったけれど、日本に帰ってきてから、「良く卒業できたわね、その年齢で」と、言われることが多かったが、その方がむしろ驚きだった。そんなに大変だったのかなと。

もちろん私にしては大変だった。けれども、正直に言えば、中年で勉強しに来ていた私に対して、先生方が甘く見てくれたところもあったと思う。もし、1つでも単位を落とせば、またサマーセッションで試験を受けて合格しなくてはならない。そして、もし、その科目が夏になくて、秋からの学期の授業に出なくてはならないとしたら、私は続けられたかどうかわからななかった。だから必死ですべての教科の先生に対して、「この歳で外国から来たので、なんとか卒業したいと思います。がんばりますのでよろしくお願いします」と、言い続けてきた。それで、どうなったかはわからないけれど、少しは印象に残っていたと思う。

当初の予定では私は、卒業式の日に帰国する予定だった。だが、5月30日にハートフォードにある全米で一番古い美術館で大晩餐会が開かれることになり、幸運にも私も参加することになったのである。私の先生が会の料理人に選ばれ、私に助手になってくれというのだ。これも滅多になりチャンスである。私は二つ返事でOKし、その日が終わるまで、帰国を延ばした。

晩餐会には名士たち約200人が招待され、食事のあとに芸術を鑑賞するという贅沢な試みだった。コネチカットの有名なレストランのシェフや、料理学校の先生、もちろんお菓子の関係者も集まったので、見ているだけでも勉強になる。

そして、その晩餐会が終わると同時に帰国の途についた。帰国してからのことを考えると、不安はあった。でも、最後に先生が、 「自信を持ってやれば大丈夫」と、背中を押してくれ、励ましてくれた。アメリカのケーキばベーシックなケーキ作りの方法を学ぶことである。だから、子供でも男性でも手軽に挑戦できる。
「よし、帰ったらこれでなんとか身を立てていこう」
そう思ってコネチカットをあとにした。  

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