エッセイ
ESSAY
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留学主婦のアメリカン・ケーキ

留学主婦のアメリカン・ケーキ

45歳でアメリカ留学した平野顕子のエッセイ集
(2000年創樹社・発売終了)を加筆・転載いたします。

お楽しみいただければ幸いです。

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イリノイへの招待

   
結婚前、母の友人である京都大学教授の夫人からの依頼で、イリノイ大学教授の秘書のような仕事をしたことがある。

秘書とは名ばかりで、ただの雑用係だったが、とても気さくな教授で、「ランチに一緒に行こう」と、教授は気楽に誘ってくれるし、私が、「タイプができない」と、言ったら、「僕が打つからいい。キミは、書類の整理やアポイントメントのことや教材を運んでくれ」という。

他の教授と比べると、考えられないほど秘書に甘いとか、上下関係にうるさくない人だった。だから、私も毎日が楽しく、先生の家族と私の家族の交流もあった。

その先生が6ヶ月の授業を終えて、帰国する時に、「イリノイ大学に来ないか」と、誘ってくれたのだ。もっと別のところで勉強したいと漠然と思っていた私にとって、それは最高の話だった。そのうえ先生は、なんと、「僕の家に住んで、そこから大学に通ったらいい」とまで言ってくれる。

この申し出を両親に早速相談すると、「先生がそう言ってくれるなら」と、厳しい父がOKと言ってくれた。母の方は、「そんなアメリカまで行くことないのに」と、反対したが、その先生の長男をかわりに日本のわが家が預かることを条件に、話がまとまった。いわば交換留学生のような形になり、両親も安心したというわけだ。私は思いもよらない展開にただただ期待を膨らますだけだった。

でも、イリノイまでの道は遠かった。というのも、先生のお母さんが、カリフォルニアに住んでいて、そこに先生は車を預けてあったので、それをピックアップして、私を乗せて中西部のイリノイまで延々とドライブすることになったのだ。

まず、ロサンゼルスに渡り、そこから山間や広い砂漠をつっ走るというこう壮大な旅で、アメリカのスケールの大きさを実感した。とくに、東に向かって走る途中でグランドキャニオンを見た時は、「ああ、これじゃ日本は戦争に負けるは」と、戦後生まれの私ではあるが、直感的になぜか戦争のことを思った。

イリノイ州の目的の町についてからは、先生の家族の歓迎をうけ、腰を落ち着けると、まず昼間は英語の勉強だけのためELS(English Language School)に入り、夜はタイプの学校に通うことになった。何もかも珍しく、あっと言う間に数ヶ月が過ぎていった。