エッセイ
ESSAY
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留学主婦のアメリカン・ケーキ

留学主婦のアメリカン・ケーキ

45歳でアメリカ留学した平野顕子のエッセイ集
(2000年創樹社・発売終了)を加筆・転載いたします。

お楽しみいただければ幸いです。

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地下のキッチンでの日本食

   
ELSがはじまって、しばらくしてサマーセッションがはじまるころに、日本人の青年が3人クラスに入ってきた。20代後半だったが、私から見れば青年。彼らのうち、1人は会社からの派遣で、2人目は日本での会社勤めをやめての参加。最後の1人は、日本で大学院を出たあと教師になるために英語を勉強しようとやってきていた。いずれにしても社会人の経験をもつ3人組とは大人同士親しくなった。

それからは私の周辺も十分賑やかになってきた。彼らのうち2人は、私と同じキャンパス内の寮で暮らしていたため、いつしか3人で協力し合って夕食の準備をするようになった。

私は、寮のなかでは朝食は食べなかったが、キャンパス内に屋台のコーヒースタンドが出るので、そこをよく利用した。教室内へのコーヒーの持ち込みもOKだから、急いでいるときは、コーヒーカップを片手に教室に駆け込むこともあった。

ランチももちろんキャンパス内で、ベーグルや羊の肉のサンドイッチ、クリームチーズ、それにコーヒーというパターンが一般的。私はけっして好き嫌いがある方ではなく、体も丈夫(これはほんとうに両親に感謝!)にできている。

でも、やはり毎日の朝昼をパン、コーヒーの生活をしていると、どうしても夜は日本食が食べたくなる。これは、日本人青年たちも同じで、ご飯と味噌汁への渇望はどうしようもないものがあったようだ。

そこで、私たちは、寮の地下室のキッチンで日本食を毎日のように作った。一人はご飯を担当、もう1人が材料を切ったりなどの下ごしらえ、そして、私がメニューをだいたい決めて料理する。というふうに自然と役割が決まっていた。こうしてできあがったものを、たまにキャンパス外の青年も食べにくるといった日々が続いた。

日本食の食材を売っているのは、車で3時間くらいかかるニュージャージーのヤオハン(日本で倒産したあのヤオハンのアメリカ店である)か、30分ほどのハートフォード近くのコリアン食料品店のみで、そこまでわざわざ買出しに行かなくてはならないが、背に腹は代えられない。

みんなそろって買い出しに行くと、1人の青年は、ヤオハンの隣にある紀伊国屋(これも日本の紀伊国屋の米国店)で本を捜すのが楽しみだったので、2週間に1回くらいは通っていた。買ってきた食材は、それぞれ個人の冷蔵庫に入れておく。

私は料理は大好きなので、勉強は大変だったが、手をかけることは苦にならなかった。アメリカにいても上手に工夫すれば、とてもおいしい日本食ができるのである。例えば、ニューイングランドではおいしい鮭が手に入る。これをアメリカではソテーしたりするのが一般的だが、私たちは、蒸し焼きにして、大根おろしと醤油で食べる。これがなんともいえない。

また、お味噌はあるから、具を適当に工夫して、味噌汁は必ず毎日作った。すき焼きだってできる。ヤオハンで薄いすき焼き肉を売っているので、冷凍しておいて、ネギなどの野菜が手元にある時に食べた。ただし、アメリカでは、卵は生で食べられないので、それだけがすき焼きとの取り合わせで物足りないと言えば物足りないのだが。