エッセイ
ESSAY
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留学主婦のアメリカン・ケーキ

留学主婦のアメリカン・ケーキ

45歳でアメリカ留学した平野顕子のエッセイ集
(2000年創樹社・発売終了)を加筆・転載いたします。

お楽しみいただければ幸いです。

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18
アメリカン・ケーキとの出会い

   
コネチカットに来たその日から、充実した時間を送っている満足感はあった。でも、半年を過ぎる頃から、ほんのわずかだが、「でも、日本に帰ったらどうするのかな」という、もう一人の自分がささやくような声を聞くようになった。「そういえば、日本の新聞の求人広告には私が働けるような場所はほとんどなかったし」

そんな思いを抱きはじめたころに、アナ先生が、私のために、「あなたの歓迎会をまだやっていないから、ぜひやりましょう」と、言ってくれた。まだ、ELSの授業のかたわら先生の授業をとっていたころだが、先生とは年齢的に近いこともあり、個人的にも親しくなり、お互いの家庭の話をするようになっていた。私が、外国から来てなんとなくホームシックにかかる時期なのかな、と先生が気をつかってくれたのかもしれない。

たまたま音楽プロデューサーである先生の夫が、ヨーロッパから帰国したこともあって、先生のお宅に招待された。そして、そのパーティーの席上、先生が、「最もニューイングランドらしいものをごちそうします」と、とてもおいしいいロブスターを料理してくれた。これが歓迎のしるしだという。その味のまろやかさに感激。さらにそのあとのデザートの味に再び感激した。その時のデザートは、先生のお手製のポピーシード・ケーキ(ポピーの種のケーキ)だった。これにクリームチーズのプロスティング添えという逸品だった。「これは、曾祖母の代からわが家に伝わっているケーキなの」と、先生は自慢げな顔をする。

その味を堪能しながら、私は先生にちょっとした相談を持ちかけた。「アメリカ留学は楽しいけれど、このまま日本に帰ったら、ただの自己満足だけで終わってしまう。帰ったら働かなくてはいけないし、いったい何をやっていったらいいんでしょうか」

先生は、その時とくにこれといったことを言わなかった。しかし、その時、私のほうが、突然、「コレだ」と、ひらめいた。いま食べたばかりのケーキである。「先生、どうでしょう。ニューイングランド地方に伝わるケーキを習って、日本に紹介するのは」 私は思いつくままに言ってみた。

すると、先生も、「それはグッド・アイディアね」と賛成してくれた。「でも、滞在期間も短いし、料理全体にまでは手をださない方がいいわ、ニューイングランドに伝わる伝統的なベーキングだけにしぼった方がいいと思う。それは、日本ではそれほど伝わってもいないし」

私自身ケーキが大好きだったこともあるし、「これでいこう」と、いとも簡単にケーキに打ち込むことを決めてしまった。好きなのと作るのとでは違うだろうが、留学を決めたときもそうだが、決めたらわりとパッと動いてしまうという単純な性格でもあり、これ以降、大学と同時にもうひとつ、滞米中の目標ができることになった。

「大学が大事だから、習うのはここから通える範囲にしなさい」と、先生はいい、私のためにベーキングスクールをあたってくれた。しかし、地理的な問題もあり、なかなかいいところがなかった。