エッセイ
ESSAY
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留学主婦のアメリカン・ケーキ

留学主婦のアメリカン・ケーキ

45歳でアメリカ留学した平野顕子のエッセイ集
(2000年創樹社・発売終了)を加筆・転載いたします。

お楽しみいただければ幸いです。

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自立するアメリカの学生

   
イースタン大学は、コネチカット大学にくらべればまちなかにあり、回りには民家も見かけることができた。さて、どこに住もうか考えていたときに幸いなことに、アナ先生が御主人の書斎を貸してくれるという。そこで、先生の自宅の半地下になった部分を一人で使うことができた。

これで、住環境は申し分なかったのだが、食生活は貧困になっていった。というのは、以前のように寮のキッチンで日本食をつくるなどというゆとりが、正規の授業が始まると全然なくなってしまったからである。それと、まわりに誰かがいて、一緒に食べようとなるとつくりもするが、一人だとなかなか手の込んだ物はつくることがなくなった。

よく、アメリカにいる間にみんな太ってくるという。確かに普通に食べていれば、何かといえばデザートなど甘い物に加え、食べる量自体が増えて、ビッグになっていくからだろうが、私はアメリカにいる間にかえってやせてしまった。まあ、ちょっと“ポチャ気味”だったので、それはそれでよかったと思っている。

コネチカット大学に比べ、イースタン・コネチカット大の方が成績で言えば、若干劣るのだが、その分クラスメイトは人なつっこいというか、人間味あふれる人たちが多かったように思えた。白人以外の学生もイースタン大学の方が多かったが、みな大学教育に対する必要性といったものをしっかり感じてきている学生だったような気がする。

学生はほとんどアルバイトをしているので、授業以外で会うことはほとんどなかった。日本の現状からすると、ほんとうに頭が下がるほどである。「両親なんかに大学へ行くお金なんか出してもらってないわよ」と私の周りの女子学生はいった。彼らが言うには、「私は自分で好きに生きているわけだから、そのかわりに自分の生活費は自分で稼がなくてはならない」。

ボーイフレンドと一緒に暮らしている女子学生も多かったが、その場合も自分で稼いでいた。まれに、アルバイトをしていない学生もいたが、それは家がかなり裕福な家庭だったようだ。あるいは家から通っている学生だ。アルバイトの種類としては、近くのスーパーやビデオショップの店員などだった。ウェイトレス(ウェイタ)というのはあまりいなかった。

アメリカは、小さい時から主体性をものすごく重んじている。それは、教育のなかに浸透している。こんな話がある。

日本人の友人がホームスティした時のことである。食事の支度を手伝っていたら、卵料理を作ることになった。そこで、その家のアメリカ人のお母さんが、「どんな卵料理がいいの?」と、聞いてきた。そこで彼は、「みんなと同じものでいい」と、答えた。

彼にしてみれば、その家のお母さんが大変だからそう言ったのだが、それを聞いていたその家の5歳くらいの子どもが、「あなたは何が食べたいのかって聞かれているのに、みんなと同じでいいっていうの。あなたはいつもそう言っているの」とびっくりしたという。また、そのお母さんも「私が大変だと、あなたが勝手に思っているだけで、私はあなたが喜ぶものを作りたいのよ。だから好きな物を言って」と言った。

どちらがいいのか悪いのかというのではなく、とにかくアメリカでは小さくてもはっきりとものを言う。だから、逆に18歳にもなって、親の世話になっているのは、みっともないと思っているのである。

アメリカの学生は一生懸命働くが、同時にとてもよく勉強する。というのは、よく言われているように、アメリカの大学は、入学するのは比較的やさしいが、卒業するのはとても難しい。しかも卒業しないと就職がない。いい意味でも悪い意味でも学歴社会は日本以上ではないかと思える。その一方で、またよく遊ぶのもアメリカの学生。

でも、日本では遊んでいる学生の姿をテレビなどでみて、「あー、アメリカの学生はいいな」と思っているようだが、そうではない。図書館だって24時間開いているし、彼らのスケジュールはびっしり詰まっているのが普通だ。それだけ、厳しい採点をされているのだろう。老体にむち打っている私はそう感じた。

これに対して、日本の大学生は幸せだとつくづく思う。親はかつて自分がしてもらったように子どもにしてあげたいと思うからそうなるのかもしれないが、日本の学生はもっと勉強しないといけない。反省もこめてそう思う。

一般の日本の大学生と、ここで会った日本人の大学生とは違うようだ。環境や育ち方、それまでの経験や目的意識によって若者でもずいぶん違うのだろう。というのは、私がイースタン大学で一緒だった4人の日本人女子学生を見ていたからだ。

四人のうち、一人は父親の仕事の関係でアメリカで育ち、永住権をもっていた。二人目は親の仕事の関係で南米で暮らしていたが、日本には戻らずアメリカで進学しようとしていた。三人目は、よく事情はわからなかったが、やはり親の仕事の関係でアメリカにいて、ここで進学。四人目は元スチュワーデスで、仕事をやめて心理学を勉強するためにアメリカに来ていた。

彼女たちは、遊びより、ほんとうに勉強したいという強い意思をもっていた。私は、日本人のいいところも持ち合わせていながら真剣に将来を考えて勉強に取り組んでいる彼女たちを見て、誇らしい気持ちになった。よく言う遊び半分の女性の留学とはまったく違っていた。

「こういう若い女性が出てきたんだな」彼女たちは20代前半から中ごろだったが、私にもいい刺激になった。中年ながら私も、「がんばらねば」という気持ちになった。