エッセイ
ESSAY
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留学主婦のアメリカン・ケーキ

留学主婦のアメリカン・ケーキ

45歳でアメリカ留学した平野顕子のエッセイ集
(2000年創樹社・発売終了)を加筆・転載いたします。

お楽しみいただければ幸いです。

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幻の留学

   
そして、4ヶ月くらいたった12月ごろ、日本にいる母から連絡があった。 「お正月はどうしても顔をみたいから、帰国したらどう?」 という。私としては、とにかくわけもなく楽しい毎日が続いているという感じで、ホームシックどころじゃない。

けれども、母の希望は強かった。それが虫の知らせというのかなんなのか。結局、私は一時帰国することに。しかし、なんという運命の巡り合わせか。なんという不運か。帰国して間もなく、突然、父が心臓麻痺で亡くなってしまったのだ。

実は、亡くなる一週間くらい前に、車の運転中に若者が運転する車に追突されて、「胸が痛い痛い」とは言っていた。そのことが関係があることは十分考えられた。だから、親戚やまわりでは、「解剖したらどうか」という話が持ち上がった。しかしh、母は、「体を切り刻むのはイヤだ」と言って反対した。原因が、その事故かどうかわからないでれども、たとえそうだったとしても、その若者と交渉するのもイヤだと言った。母か力を落としているのは目に見えてわかっていただけに、だれも反対はできなかった。

「これはとんでもないことになった」と、思うと同時に、自分のアメリカ生活の再開に暗雲が垂れ込めてきたのを感じた。そして、さらに不運が重なり、2週間くらいして予感は現実のものとなってしまった。なんと、今度は父の母、つまり祖母が亡くなってしまったのだ。「まるで父に連れていかれたようだ」と、誰かが言っていたが、まさにその通りとしかいいようがない。

結局、私が帰郷したわずかな期間である12月のその月だけで、わが家から二つお葬式を出すことになった。代々商売をやってきた家から、その主と母親が亡くなったのだ。その葬式の手はずだけでも大変なものだった。そのショックと疲れからか、母は、自立神経失調症になり、外に出られなくなってしまった。

今までが順調すぎた私は、180度運命が転回するような気分だった。「これは、もうアメリカには戻れないなあ」 残念だったが、そう思うしかなかった。私の姉弟は弟がひとり。まだ学生だった。一家の大黒柱を失ったからには、経済的にも余裕はなくなるだろう。母にお金の無心も出来ないし・・・・・。悲しかったこともあるが、まだ若かった私は父を恨んだ。私は父のお墓に向かって涙ながらに言った。「どうしてこんな時に死んじゃったのよ」

それっきりイリノイにはもう戻らなかった。アメリカに置いてある自分の荷物をとりにさえ、戻れるような状況ではなかった。当然、留学の夢も立ち消えになってしまった。ほんとうに幻のアメリカ留学だった。そして、3年して私は結婚し、子どもが二人生まれ、主婦として、母親として、ごく普通の生活を送ることになった。

その生活がどんな意味をもっていたのか。東京に出てきたばかりのころは、とてもまだ振り返る余裕はなかった。しかし、その間を飛び越え、ともかく私は、自分の青春時代の夢へと、まるで時計の針をもとに戻すように、立ち返ることしにした。もう一度チャンスがめぐってきたのだ。ひとりで身軽に自分のために。そう思うと、人生も捨てたもんじゃない。北陸から東北へ、そして、アメリカへ、私は飛ぶことにした。