エッセイ
ESSAY
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留学主婦のアメリカン・ケーキ

留学主婦のアメリカン・ケーキ

45歳でアメリカ留学した平野顕子のエッセイ集
(2000年創樹社・発売終了)を加筆・転載いたします。

お楽しみいただければ幸いです。

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19
おしかけて、弟子入り

   
どこで、習ったらいいものか。いろいろ考えながらキャンパスを歩いていると、「犬も歩けば棒にあたる」ではないが、おいしいケーキに出合ったのである。

キャンパスの中では、毎月第二土曜日だったか、日本で言えば、野菜など食品を売るマーケットが開かれていた。大学生や大学の職員たちがこれをよく利用していた。そのなかの一つにリトルリバー・ベーカリーというお手製のケーキを売る小さな店があった。それをたまたま食べてみると、ものすごくおいしい。

「よし、この人に教えてもらえるかどうか聞いてみよう」思い立ったが吉日。さっそく電話番号を調べて連絡してみた。すると、アメリカ式のビジネスライクな返答が返ってきた。それは、アメリカのおいしいケーキを作って売っている女性の声だった。私と同じくらいの年齢だろうか。「あなたに捧げる時間は、私にはありませんわ。私はベーカリーを経営していてとてもそんな時間はないの」と、はっきり断られた。しかし、それであきらめはしなかった。

「これで引き下がったら、もう何もできやしない」単なる趣味じゃない、日本に帰ってからの自分の生活がかかっているんだ、という必死の思いがあったからかもしれない。もう一度挑戦してみた。「あなたが作ったケーキはほんとうにおいしかった。私はいま日本から大学に来て勉強しているが、年齢もいっているし、日本に帰ったら将来ベーキングの世界で食べていきたい」と、電話で話した。でも、断られた。それならと、今度は私は彼女の家を探し出して押しかけていった。今日女の意地である。

「どうしてもお願いします」と、必死にたのんだ。すると、彼女は、「私の空いている時間でいいのなら、1週間に一度、2時間だけ、あなたのために時間をあけましょう。ただし、それも大学のオープンマーケットをやらない秋から冬にかけての期間なら、という条件です」と、言ってくれた。冬は雪が深く、寒いので戸外でのマーケットはやらないから、その期間は彼女は比較的時間があるのだという。

彼女の名前は、ローリー・プライブルといって、私と同年齢くらいで、手づくりのパンやケーキをレストランに卸したり、同時に個人のお客さんの電話での注文に応じてパンやケーキを作っている。まさに地域に根差したベーカリーだった。住まいのすぐそばに工房をもって、彼女は毎日そこで黙々と働く“職人”だった。

やがて、冬が近づきキャンパス内のマーケットはなくなり、ELSに通っていた私は毎水曜日になると、ケーキを習いにプライブル先生の店に通っていった。