エッセイ
ESSAY
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留学主婦のアメリカン・ケーキ

留学主婦のアメリカン・ケーキ

45歳でアメリカ留学した平野顕子のエッセイ集
(2000年創樹社・発売終了)を加筆・転載いたします。

お楽しみいただければ幸いです。

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私自身への投資は800万円

   
気持ちだけが先走り、留学すると決めたはいいものの、いったいどこの学校へ行くべきか。まずは、そこから考えなくてはいけない。かつて、一度夢見たイリノイ州立大学も考えた。しかし、当時世話になった、その先生はすでにリタイアして、今は気候のよい西海岸に移転してしまったので、「はてどこへ行こうか」と思案してしまった。

そうはいっても具体的に希望の大学があったわけではない。でも、ともかく四季のはっきりしているところにしようと思い、東海岸の北部、マサチューセッツ、ニュージャージー、コネチカットなどの各州の大学数校に応募のための手紙を書いた。すると、そのなかで一番最初に受け入れの手紙をくれたのがコネチカット州立大学だった。治安も悪くないところだ。

また、このころたまたま本屋で、アメリカの雑誌 “エスクワイア” の日本語版を読んでいると、アメリカの50年代のビート作家として有名な、ジャック・ケルアックに関するエッセイが目にとまった。とても印象的な文章だったので、いったい誰が書いたのかなと思ってみると、それがなんとコネチカット州立大学のアナ・チャーターズという英文学の教授であることがわかった。

「もうこれは、縁だ」と運命的なものを感じた私は、さっそくチャーターズ教授に “エスクワイア” での文章がとても印象深かったことなどを手紙に書いてみた。すると、さっそく返事が到着、その後も手紙のやりとりを続けていくことができた。先生はショートストーリーが専門だといいうことが分かったので、「もしコネチカット大学に入ることが決まったら、授業を受けてもいいですか」と尋ねてみると、すぐにOKという返事がきた。

これで受け入れ態勢はできたし、あとは私の決断次第だった。「受け入れてくれるのならいこう」とはもちろん思っていた。しかし、もう一度考えてしまった。2年間という月日と授業料や生活費などで800万円ほど費用がかかるという現実に対してである。

ある程度の貯えはあったので、それを元にすれば、贅沢をしなければ3、4年は遊んで暮らして行ける余裕はあった(もちろんその先はわからないが)。アメリカ留学となれば、これを取り崩せばいい。幸い日本に帰ってきても、住むところだけはある。でも、「これがみんな飛んでなくなっちゃうんだな」と思うと、こんなことしていいのかなあという気持ちはどこかにあった。ウーン。

しかし、そこら辺は私もノー天気なほうなので、「まっいいか」と割り切った。もう、運命に身をまかせて行くしかないだろうと。他人から見れば、無謀かも知れない。でも、人それぞれお金の使い方がある。いま自分に大切なのは、果たせなかった夢にかけること。そう思って、決心した。

ただ、二人の子どもと母には了解を得ておきたかった。その方が、自分の気持ちも楽になる。反対を押し切って行くのはわだかまりみたいなものを残すような気もしたので、正直に計画を話してみた。すると、堅実でクールな息子は、「えっ、どれくらいかかるの? 800万? そんなお金どこにあるの? そんな無駄なことはやめなさい。そんなお金があるのなら、僕に投資しなさい。そんな無謀な戦いはやめて」と、いう。そこで、私は、「お金の使い方も人それぞれ。そのお金で10年間生活しようと、2年間でしようと、お母さんはそれで幸せになれるのだから」とまじめに説明した。息子も、最初から薄々わかってくれていたのだろう。最後には、「それだけの決心があるのならしょうがないね」と、納得してくれた。

一方、娘の反応は全然違った。「行ってらっしゃい、行ってらっしゃい。もし、卒業できたら、快挙じゃない。もしできたらだけどね」 彼女はずっとひとりで生活してきたのに、私が突然ころがりこんできたので、二人で過ごす事への心の準備もできていなかったこともあったのだろう。母の旅立ちを賛成してくれた。

心配してくれた母親も事情を説明すると、「行ってらっしゃい」と、言ってくれた。そして、私の気持ちをわかってくれたのか、「20年前にできなかったことを、時がそうさせているのね」と、言った。20年経たないとこうならなかったのか。私は、感慨無量だった。20年前の留学の時、彼女は反対した。でも、それから母自身も父と死に別れたり、いろいろな事を経験して、人生はそう長くないと思ったのだろう。